2012/11/23 15:01:27

親父が還暦を迎えた。
まずやっかいなふたご息子と娘を今の歳まで育てたこと、育ててくれたことに、敬意をはらいたい。
自分も父親になって気づくものがある。
小学生の頃サッカーのクラブチームの試合で親父が応援にくるときが嫌だった。
何故なら、半端じゃなく大きな声で怒鳴り散らしコーチでもなくサッカーをやってた人じゃないのに叫ぶ、怒鳴る、怒る!
あの頃のチームメイトはみんなまだそのことを覚えてるんだろうな。って今だに思う。
でも今思えば、人目も気にせずにあんな風に自分が熱くなって応援できるのって凄いな~って思う。
中学生の頃、中学校から希望者一人がニュージーランドへ10日間行ける派遣団みたいのがあった。
その頃、ちょうど人生初のイジメを経験していた時で心が弱くなっている頃に、『ニュージーランドへ行かないのか?」と親父から聞かれ『行きたいけど、俺なんかイジメられてるから無理だよ。』って答えた。
また派手なことしてイジメられるのが怖かったんだと思う。
でも親父は『やらなきゃわからないだろう。』って言って背中を押してくれた。
見事ニュージーランド行きが決まった時に、逆境からの行動って凄いことに繋がるんだ!って中学生で気付けたのは紛れもなく今に生きているような気がする。
高校生の頃、家には親父がほとんどいなかった。
大手ダイエーで務めていた親父は課長で語学ができるということでハワイで三年間単身赴任となった。
親父がいないことを機に
その頃のMINEはやりたい放題。
苦しいこと嫌なこと勉強から全て逃げた。
卒業できないかもしれないということで、親父が日本に帰ってきた時に親父も呼ばれ担任から注意を受けそのあと車の中で長時間の説教をくらった。
まだまだそんなこと理解できる立場でもないけど、説教をしたり子供を怒鳴ったあとは親父が1番苦しかったんじゃないかな~って思う。
ダイエーからフランチャイズのローソンのイチオーナーとして転職。
母親の突然の病気で本当に死に至るかもしれない。ということで初めて見た親父の涙。
病気の薬が日本での認可が降りてないということで一人で9000人の署名を集めた親父。
2001年
転職先のないMINEはそのままローソンに就職。
しかしサーフィンにはまりはじめていた頃で一ヶ月半でローソンを辞める。
そして下田へ。
今だに親父は下田に行くMINEが心配だったみたい。何故東京から下田へ。
振り返れば、自分が本当にやりたいことをなんでもやらせてくれた親父だった。
昨日、還暦のお祝いで電話したときに『この歳になってローソンの売り上げが悪くてこんな思いするとは思わなかった~。まだ俺たちは年金がまだもらえるからいいけど、MINE達の老後は絶対もらえないぞ。それを踏まえて行動しろ。でも俺はMINEの今の歳から老後のことを考えてたぞ!』って言われた。
ズキズキとくる言葉を還暦の親父からいただきました。
親父が昨日、還暦を無事に迎えたこと。
おかあと親父が仲が良いこと、
家族が仲が良いこと。
今の自分がいるのは、本当に親父のおかげだと思います。
本当に有り難うございます!
親孝行できるように頑張ります!
ここからは自分の番です!!

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